クロア篇-10章4 - 木瓜咲く

クロア篇-10章4

2019年5月10日金曜日

クロア 長編クロア

 ヴラドの館を来訪した三人はタオの飛竜に乗り、アンペレの町へ帰還した。行きと逆順をたどり、町中で降りてから屋敷へ行く。ただし出かけるときとはちがい、クロアは姿を隠さずにいた。今宵の外出を周囲に知らしめるためだ。案の定、警備兵の目撃証言を聞き付けた高官が出迎えに来た。クロアは余裕の態度で老爺に挨拶する。
「こんな夜にも真っ先に出てくるなんて、勤勉ですわね」
「どこにお出かけだったのですか。従者にも告げず……!」
「カスバンには後日知らせます。さきに伯に報告しなくてはなりません」
 クロアは老爺の反論を唱える隙をつぶしたうえに、ずんずんと歩を進めた。老爺は立場的にも体力的にも口でしかクロアと対抗できないために、結果的に公女の独断専行を許した。
 クロアはタオとプルケと別れ、単独でクノードと対談することにした。彼の寝室へ訪れると、寝間着の夫婦が長椅子に腰かけていた。クロアは二人同時に真実を伝えることにためらいを感じ、立ちすくんだ。そこへ、母が優しく声をかける。
「ヴラドの館に行ってきたのでしょう?」
 夫人がクロアに歩み寄り、娘を抱きしめる。
「懐かしい匂いがする……」
 その言葉は疑いなく、母がヴラドの関係者であることを認めていた。
「ほんとうに、お母さまはヴラドの妻なの?」
 クロアは震える声で問うた。フュリヤが首をゆっくり横に振る。クロアは母の否定にとまどい、またかすかに歓喜した。
「いいえ、『妻』といえる対等な関係じゃないの。金品と同じように所有される『物』……『奴隷』と言ったほうが正しいかしら」
 淡い期待は無残に砕けた。ぬかよろこびと言ってよい。消沈したクロアは長椅子に座る中年に目を移す。
「お父さまは、知っていらしたの?」
 父は悲しげな笑顔でうなずいた。追い打ちをかけることにクロアは気が引けたが、こらえる。
「わたしは……ヴラドの子らしいんです。それもご存知?」
「ああ、聞いたよ。だけどクロアが私の子ではないことを前々から……知っていたんだ。だから、クロアには妹と弟がいる」
 クロアは年齢の離れた妹たちがいる。クロアの出生について知ったのち、正式な世継ぎを確保するために新たに子を生(な)したのだろう。
 クロアは父が想像以上に状況を理解し、また冷静でいる様子を見て、体の力が抜けた。足元がふらつくのを、母に支えられる。そのまま一緒に長椅子に座った。
 長椅子のまえの卓上には酒瓶と酒杯があった。酒杯は底にすこし酒が残るものと、手つかずに酒が入っているものの二つ。父は残りすくないほうの酒杯に酒を足す。
「こうして三人ですごすのも最後になるか……」
「それはどういう意味なんですの?」
 クロアが率直に質問した。クノードは口元に傾けた酒杯をすぐにもどす。
「クロアをどこかへやることはしない。だから安心してほしい」
「ではお母さまがヴラドのもとへ行ってしまうの?」
「二人で話し合った結果、そうすることにした。クロアはどう思う?」
 クロアはタオの言葉が頭にちらついた。魔人に母を渡さなければ、魔人はその怪力をもって町に乗りこんでくるかもしれない。母をヴラドに返すべきという父の主張はうなずける。
「わたしも……そうするしかないのかとは思います。でも、条件を付けたい……」
「どんな条件を出すつもりだい?」
 クロアは幼い家族に思いを馳せる。
「妹たちが帰省する時期に限定して、お母さまをアンペレに招くのです」
 クロアの懸念は母の愛情を欲する妹たちにある。幼子たちの幸福を想えば、母を何年も魔人のもとに預けたくはない。
「相手は年中眠る魔人ですもの、短期間のお母さまの不在はなんてことないと思いますわ」
「はたして魔人がその要求を飲んでくれるか……」
「お父さまはどうなるのが一番よいとお思いになってらっしゃるの?」
 クノードは酒杯を空けた。クロアはその飲み方が荒い気がしてならなかった。
「ここにずっと居ればいい。魔人も、賊も、私にはどうでもいいことだ!」
 クロアは自分の耳を疑った。それらは普段の品行方正な領主が発するはずのない言葉だ。
「なぜいまになってフュリヤを捜す? 十何年も、フュリヤがいなくなったことに気付かずにいた寝坊助だろう。どうしてあと百年……いや、五十年も眠っていられないんだ」
 領主の仮面を外した中年が憤慨に任せて酒を注ぐ。その手を母が穏やかに止めた。クノードは酒瓶を手放した代わりに、母の分に用意した酒杯に口をつけた。母は「ごめんなさい」と力なく言う。
「わたくしの浅ましさがいけないんです」
「そんなことはない。きみは他者を優先しすぎるだけだ」
 フュリヤは寂しい笑みを見せた。クロアは母の自嘲に耐えかねて、次の質問に移る。
「お母さまはなぜヴラドにしたがうのです? 一生を捧げるほどのなにかを、その魔人がやってくれたと言うの?」
 若々しい夫人はクロアの手を握り、伏せていた過去を語りはじめた。



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