習一篇-3章2 - 木瓜咲く

習一篇-3章2

2020年6月30日火曜日

習一 長編習一

「出席日数をかせいだほうがいいんだって」
 その提案は銀髪の教師が言い出したのだろう。教職に就く者らしい意見ではあるが──
「いまから? 遅刻確定じゃねえか」
「ケッセキよりはチコクがいいんでしょ?」
 たしかに内申書ではそういう扱いだろう。まして一か月間入院したとなれば今期の出席日数は足りていない。だが退院日に出席しなくても咎めは受けないはずだ。
「ねえ、制服にきがえて」
 まごつく習一に対して、少女は強硬な姿勢をとる。
「お昼ごはんはわたしが用意する。授業のじゅんびなしでもいいから」
「かったりいな……」
「シドのいうこと、聞くやくそくでしょ」
 習一が承諾した契約を持ちだされては分が悪い。習一はそうか、と制服を手にとろうとしたが、現在の自分は悪童である。素直にしたがわなくてもよいのではないか、と考え直す。
「どうだったかな」
「あ、ウソつくの?」
 少女は表情を変えずに非難めいたことを言った。習一の予想の範疇である。
「なんだよ、オレが大人の言うことを聞くいい子ちゃんに見えるのか?」
「うん」
 少女はまたも真顔で答えた。この返答は習一の調子を崩すに足る、普通ではない反応だ。
「どこを見てそんな──」
「じゃあ外でまってるからね。はやくきてね」
 少女は習一の疑問を聞かずに窓の外へ降りる。習一は彼女の行方を確かめた。少女は何事もなかったかのように庭を駆けている。おそらくこの高さから難なく跳びおりたのだ。
��なんだあいつ、忍者か?)
 習一は窓に身を乗り出し、少女が二階へたどりつく経路を考えた。窓の下には人ひとりが立てる軒先がある。そこに登れれば習一の部屋に到達できそうだ。だが軒先の先端は少女の身長より高い位置にある。懸垂の要領で登るには彼女の背が足りないように思えた。
��勢いつけてジャンプして、って感じで登ったのか?)
 そんなことをすれば物音が鳴るだろうに、習一には聞こえなかった。静かに家屋を登ってこれるとは泥棒の素質がありそうである。
��おっと、そんなことより……制服か)
 どうせ部屋にこもっていても習一に得があるわけではない。学校へ行ったほうが現状の把握なり運動不足の解消なりにつながり、有意義なことのように思える。この判断は銀髪の教師と少女に強制されたものではないと自負し、着替えにかかった。
 心持ち布地がだぶつく制服を着終えると、学校用の鞄を持ち、母には行き先を告げずに外出する。さきほど軽業師的な移動をやってのけた少女が鉄格子の奥で待っていた。彼女の運動能力について議論すべきかと習一は迷ったが、自分に無関係な話だと判断して、なにも言わなかった。
 習一は学校に向けて移動する。少女は習一の後方をついてくる。習一がいたずら心から学校とはちがう方向へ進んでみると「どうしたの?」と少女が聞いてきた。学校への経路は把握されている。つまり彼女は習一がきちんと学校へ行くよう監視する役目を担っているのだ。少女の運動能力をかんがみると、追跡を捲けるとは思えず、習一は寄り道せずに登校するほかなかった。
 じりじりと照りつける太陽の下、習一は汗をじんわりかいた。もともと習一は暑いのが苦手だ。はやく涼しい屋内に入りたくなり、歩みを速めた。
 日射の中をすすみ、家からほど近い距離にある学校に到着する。現在は授業中のため、外観は静謐さがただよった。習一が生徒玄関に入る段になって少女が立ち止まる。彼女はまったく汗をかいていなかった。
��このクソ暑いの、平気なのか?)
 褐色肌の人は気温の高い地域出身者が多い。彼女もそういう暑さに慣れた外国人なのかもしれない。習一がひとりで納得していると少女は「お昼にまたくるね」と言い、きた道をもどった。監視を逃れたいま、習一は自由だ。
��これからもっと暑くなるよな……)
 蒸し暑い屋外を闊歩する気力はない。冷房をふんだんに活用した教室内にいたほうが快適である。そのように状況判断した習一は真面目に授業を受けることにした。
 下足箱のある生徒玄関へ入ると土埃の香りがただよってきた。嗅ぎなれた匂いに妙な安心感をおぼえながら習一は自身に配分された下足箱を見た。自身の内履きがちゃんとある。内履きを逆さまにしてゴミを払い、足を入れる。現在の習一は肉が削ぎ落ちた体だが、足のサイズは以前と変わらなかったようで、違和感がなかった。
 階段をのぼり、二年生の教室前廊下を通る。授業中の生徒が数人、視線を遅刻者にそそいできた。蔑みをふくんだ目はもはや慣れたものだ。習一はクラスの後方の戸を開け、入室する時にも同様の視線を集めた。習一は唯一の無人の席へ座る。自席の場所はとうに忘れていたが、勤勉な生徒たちの教室で一席空いていればそこが自分の席だと知れた。
 教鞭をとる教師は授業を中断する。出現が稀な生徒が着席するのを見届け、これといった反応をせずに再び教鞭を執る。習一は鞄を机に乗せたまま、黒板を見つめていた。



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