クロア篇-7章3 - 木瓜咲く

クロア篇-7章3

2019年4月13日土曜日

クロア 長編クロア

 クロアは男性従者不在の朝を二度むかえた。彼が事前に「数日かかる」と宣言したように、やはり手間取っているようだ。ひょっとすると数日ではすまないかもしれない。
��おそくなるときはダムトが連絡をよこすでしょ)
 彼の良識を信じ、クロアはみずからがすべきことに集中して、職務にあたった。

 自身の職務室にて、午前の仕事を仕上げる。その成果をレジィに託したあと、仕事机に突っ伏す。
「ああ……あと三人、はやく見つけなきゃ……」
 そう焦る原因が、クロアの仕事机のまえへやってくる。
「なにをあわてる必要がある? 町の内も外も、平穏そのものだろう」
 金髪の青年が物知り顔で言った。彼は帽子をぬいだマキシ。昨日からクロアの執務室へ出入りするようになった。ベニトラがこの部屋にいるので、その観察のためにお邪魔している──というのが本心なのか建前なのか。クロアは疑わしい目で彼をにらみつける。
「あなたはどうして文官の真似事をなさるの?」
 この青年は一昨日まで、庶務にも刑務にも顔を出していたそうだ。彼の観察対象であるベニトラはたしかにそのあたりをぷらぷらしたらしいが、マキシの興味は朱色の獣だけにとどまらなかった。持ち場にいる官吏にあれこれ質疑応答をし、官吏を困惑させた、との苦情があがっている。
 厚顔な青年は「見聞を広めるためだ」と自信満々に主張する。
「僕はこれまで術や魔物のことばかり学んできて、為政にはうといんだ」
「あら、あなたは宰相の家族なのでしょ」
 マキシが偉大な血族につらなる者ゆえに、カスバンでさえこの若者を強くはとがめない。その手ぬるい対応はマキシの横のつながりを視野に入れたものだ。彼はいずれ母国へもどる。そのとき彼が国の重役を務める身内に対し、アンペレでの苦い思い出を吹聴したなら、外交関係がわるくなるおそれがある。そんな思いから百官はマキシを丁重にあつかうのだ。あるいはマキシが将来、宰相の跡を継ぐ可能性をも考慮していると言える。
「まつりごとにたずさわる準備をしておられないの?」
「僕は宰相とは親戚だが、べつに息子や孫ではないしな……」
「では宰相の後継者になる予定はないんですのね」
「ああ、そのとおりだ。あちらは帝都、僕は学都に住んでいて話す機会もないし……」
 家名の重みのわりに、マキシは権力者にちかしくない人物のようだ。これは朗報である。クロアはもともとマキシを特別視する気がなかったものの、ほかの官吏たちが変に気張らなくてすむのはたすかる。そのように気が休まったのを、マキシは皮肉げに「残念だったかい?」と聞く。
「僕に取り入って、あとあといい思いをさせてもらおうと考えてた?」
 彼は官吏たちが自分に甘い対応をするのを、媚びへつらった態度だと考えているらしい。クロアは心外だと憤慨する。
「バカを言わないでちょうだい。あなたはわたしたちに必要な人手だから多少の無礼を見過ごすのです。用事がすんだらポイっとしますのよ」
 クロアは青年を突きはなす態度に徹する。
「あまりわたしの席にちかよらないでくださる? 普通、公女の執務室に部外者は入れませんのよ。みだりに機密情報を知られてはいけませんもの」
 マキシの耳に忠告をしかと届けた。だのに彼はクロアの仕事机の端に腰かける。
「才知がないと言われてしまう公女に、重要な資料が回ってくるものか」
 あなどられたクロアは文具立てにある細長い定規を手にとった。これは鋼鉄でできている鉄尺であり、暗器のたぐいだ。それを青年の尻へ打ちつける。
「机は座るものじゃなくてよ!」
 怒りがこもった一撃だった。被弾者は苦痛により床に倒れる。
「用事がすむまで……無礼を見過ごすんじゃなかったのか……」
 クロアの視界外で苦悶の抗議があがる。クロアは声のする方へ手持ちの道具を投げる。
「見過ごすにも程度の問題がありましてよ」
「くっ……これが武勇だけは優れるという公女か」
 マキシが尻をさすりながら立ち上がる。手にした鉄尺を忌々しげに机上へ落とした。定規は頑丈な仕事机とぶつかり、鈍い音が鳴る。
「こんな重いものを使っているのか?」
「ええ、わたしは不自由していませんわ」
 といってもクロアが鉄尺を使用する機会は無きにひとしい。定規本来の役目は物の長さを測ったり直線を引いたりすることだが、そういった作業はクロア以外の者がおこなう。暗器としての活躍もこの平和な屋敷内ではのぞめない。この鉄尺はクロアの興味本位で手元に置いてある、非実用的な道具だ。
「アンペレ公は生粋の人間、その夫人は魔力の高い半魔だというが……」
 学者気取りの青年は痛みをわすれ、考察にふける。彼の視線は机上の鉄尺にある。
「その馬鹿力はどういう過程で発現したのか不思議だ」
 無遠慮な言葉にクロアは閉口した。クロアの怪力は人外由来に決まっている。その力の祖は、家族全員が腫れ物のように遠ざける生き物だ。その存在をクロアも取り沙汰してはならないと思っている。そんな繊細な事情に他人が踏み入ってきては気分がわるい──

──ほんとうに そう?

 意表を突く心の声が、脳裏をかすめた。自身の不愉快な気持ちがどこを起点としているのかを、疑問視する声だ。
 クロアは己の直感がなにを言わんとするかさぐろうとした。しかし目のまえに朱色の猫が浮遊してくると、関心がそちらに向いた。
 猫は机に乗り、ころがった鉄尺を前足でさわった。ちょいちょいと細長い板をうごかす。クロアたちが話題にした鉄尺の硬さか重さをたしかめているらしい。この獣は老人くさい物言いをするかたわら、子どものような好奇心を発揮する面もある。クロアは獣の無邪気さに気をとられ、自分がなんの洞察を深めようとしたのかわすれていった。
 そのうちに部屋の扉が開いた。入室者はレジィで、彼女は移動配膳台を押してくる。
「マキシさんの分もご飯をもらってきたんですけど──」
 ここで食べますか、との問いは青年の「よし、決めた!」というさけび声で消される。
「僕も公女の付き人になるぞ!」
 レジィはびっくりして、クロアに「そんな話をされていたんですか?」と聞いてきた。
クロアは頭をぶんぶんと横に振る。
「ぜんぜん、なんの脈絡もなく言い出しているのよ」
「なにを言う! 謎を解明するために決まっているだろう?」
 ようはマキシはベニトラの観察同様、クロアのそばにべったり張り付こうと考えたらしい。しかし魔獣と人間では勝手がちがう。
「あなたは魔物や魔獣専門の研究者なのでしょ。わたしとは関係ありませんわ」
「魔物学は広義での魔族が研究対象だ。その混血児の特性も調べている」
「わたしを実験動物あつかいなさるおつもり?」
「実験はしない。観察するだけさ!」
 マキシはそそくさと配膳台の盆を取った。彼の飲食する場所はダムトの仕事机である。
現在その席の所有者は外出中なので、不都合がなかった。
��いまはよくても、ね……)
 青年の興味対象がクロアにうつった現状、今日からマキシがクロアのまわりをうろちょろするのは目に見えている。
��席を用意してあげる? いえ、それは甘すぎるかしら)
 クロアは青年を突きはなす方向で話をすすめようと考えた。
��だいたい、この人は学者でしょ? 官吏をやるヒマがあるの?)
 クロアはマキシが身を置く所属をよく知らない。彼の従者就任希望の可否を決めるまえに、そこをあきらかにしておく必要がある。それゆえ、手始めに彼の経歴について質問をしかけた。



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