拓馬篇前記-実澄9 - 木瓜咲く

拓馬篇前記-実澄9

2017年11月2日木曜日

実澄 拓馬篇前記

 雑貨屋での利用料金と商品代はレイコの母が支払った。実澄は自分が代金を負担するつもりだったが、喫茶店でのレイコの飲食費を肩代わりしたことを指摘され、その帳消し案として押し通された。「本当なら食事代も払わなきゃいけない」ともレイコの母は言う。それは実澄がレシートをわざわざ他人に見せるみみっちさを嫌ったために実現しなかった。
 レイコの母による一連の交渉は、金銭のやり取りだけだった。しかしその本質はレイコを救った人たちへの感謝がこもっている。それが伝わったからこそ、実澄は金額の釣り合いがとれないことをあえて言わなかった。
 帰り支度をする段になって、レイコは母が持参したピンクのジャンパーを着た。白い長靴を履いた足で立ち、実澄と青年を見上げる。
「おせわになりました」
 ぺこりと頭を下げた。誰に言われるでもなく、自分の意思で謝辞を述べる様子に実澄は感心した。親の教育がしっかりしている証拠だ。実澄は前途ある親子に敬意を表する。
「どういたしまして。レイコちゃん、お母さんや弟くんを大切にしてあげてね」
「うん」
「いいお返事。じゃあこれは、わたしのお願いをきいてもらうお礼ね」
 実澄は手提げ鞄にあるピンク色のニット帽子を出した。レイコに被せた時につけた折り目がそのままになっている。レイコは帽子を触れようとしたが、途中で止める。
「いいの? ミスミ、さむくならない?」
「いいのよ、今日は雪よけのつもりで持ってきたものだから」
 日の落ちた外は雪がやんでいた。レイコはちらっと母親の顔を見る。レイコの母もどうしたものかと迷う素振りでいた。
「でも、いっぱいよくしてくれたのに」
「気にしないで。これは娘にあげたかった帽子でね、娘が『ピンクは自分に合わない』と言って、被ってくれなかったの。よかったらもらって」
 実澄がほほえむとレイコも「ありがとう!」と言いながら笑顔を返した。レイコは帽子をすぽっと被る。その色合いは上着とマッチしていて、違和感がなかった。
 レイコの母が包装されたマグカップを持ちつつ、慇懃な謝辞を述べた。ひとしきり別れのあいさつを交わす。そして母娘は手をつないだ。少女がもう片方の手を大きく振り、母とともに店を出た。その光景は期待していた最良の結果であるはずなのに、実澄は半身を失ったかのような虚しさを感じた。
��きっと、もう会えないのね……)
 レイコはこの近辺の子ではないと言っていた。ふたたび知り合いの家へ来訪することはあっても、実澄と接する機会はないだろう。
��さびしくなんかないじゃない、家に帰ったら娘がいるんだから)
 自分は自分の子の面倒を看ればよい。よその家もそうしているから家庭が成り立つ。そう考え、自身に生まれた身分不相応の保護欲をかき消した。
 青年が「私たちも帰ろう」と実澄に声をかけた。実澄はこの場に残るもう一人の目下の者へ意識を向ける。
「銀くんはどこに住んでるの?」
「……隣りの県に、厄介になる家がある」
「じゃあ電車に乗って帰るの?」
「そう、だな」
「駅まで送りましょうか?」
「それにはおよばない」
 青年は出入口の自動ドアをくぐった。実澄も外に出る。青年の進行方向は最寄り駅へのルートとは逆行しようとしていた。
「そっちは遠回りよ」
 青年が足を止める。くるりと方向転換し、実澄の納得するルートへ軌道修正した。実澄は早歩きで青年に歩み寄る。
「昼間と感覚がちがってくるでしょ。やっぱり心配だから一緒に行かせて」
 青年はなにも答えなかった。ただ実澄の道案内を承諾したのか、その歩調は実澄と同じになる。彼は一言「世話焼きだな」とつぶやいた。実澄は照れ隠しのようでもあるセリフを受け、笑みがもれる。
「おせっかいだってよく言われるわ。だけど銀くんも他人のことを言えないのよ? 暗くなるまでわたしたちに付き添ってくれたんだもの」
「……ほかに、することもなかった」
「散歩でもしてたの?」
「休暇をもらったからまだ見ていない土地を見に来た」
「へえ、観光目的だったのね。楽しめた?」
 遊び盛りの若い男性が歓喜する出来事は皆無。実澄にはその自覚はあったが、一応確認した。すると青年は意外にもうなずく。
「いろいろと勉強になった。やはり己とはちがう種類の人と接することは、学ぶことが多い」
「あら、そんなに充実してた? イヤな思いをさせてしまったかとヒヤヒヤしたんだけれど」
 本日は二度、不審人物の嫌疑をかけられた。おそらく実澄一人ではこうも怪しまれまい。青年もまた「慣れている」とぶっきらぼうに答えた。実澄は罪のない青年を憐れむ。
「ガマンしてちゃ損よ。工夫次第で、いい人に見えるはずだから」
「このナリでか?」
「ええ! 服なら簡単に変えられるでしょう? その黒色づくしは威圧感が増しちゃって、よくないわ。もっとこう、軽い感じの色で……たとえば子どもが好きになりやすい黄色をワンポイントに入れるとか──」
 実澄が路上でファッション講座を開く。実澄はさらに発揮する老婆心をうっとうしがられるのではないかと懸念したが、意外にも青年は熱心に耳を傾けた。



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